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私が初めてルーヴル美術館に行ったのは11歳の時。父の仕事についてパリに行きました。当時父は輸入ブティックを経営しており海外に買付に行っていました。
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ルーヴルが何かも知らない子供ながらに、入った瞬間壮麗さに圧倒されました。入り口を入ると廊下の両側に大階段があり、翼を広げた頭部のない女性像が置かれていました。後にサモトラケのニケというギリシャ時代の彫刻で、ルーヴルの至宝の一つと知るのですが、私の美術の最初の洗礼となりました。
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まだ今のように混んでいないモナリザや、日本でも名高いミロのビーナスを両親とともに見ました。ドラクロワの「自画像」の前で立ち止まり、「パパに似てるね」と言って両親の笑いを誘ったのも懐かしい思い出です。父には口髭があり、当時の日本人にしては彫りが深かったので、子供には似ていると感じたのかもしれません。
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それから四半世紀の時を経て、36歳になった私は再びルーヴル美術館を訪れました。海外旅行ブームで世界中からの観光客で大行列。入り口の場所も変わっており、サモトラケのニケは修復中、モナリザを見るのは朝の山手線以上の混雑でした。25年の間に変わったのはルーヴルだけでなく、両親は離婚。父とは20年以上音信不通になっていました。
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美術史を勉強した私は教科書に載っている作品をこの目で見たいと思ってルーヴルに行ったはずでした。しかし、美術館の中を歩くにつれ、子供の頃に見た作品を辿っていることに気づきました。大きさに驚いた「ナポレオンの戴冠」やフラン紙幣に描かれていた「民衆を導く自由の女神」。そしてドラクロワの「自画像」の前に来た時、ふと父に会いたいと思いました。20年間封印していた思いです。
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しかし父の連絡先もわからず、心理的な壁が高かった。怒っているんじゃないか、会ってもらえないんじゃないか、そんな恐れを乗り越えて会った時には感動して、一緒に写真を撮ることを忘れてしまいました。
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結局、一緒に写真を撮らないまま先月父は他界しました。晩年は髭も剃っていましたが、ルーヴルで撮ったドラクロワの自画像は今でも私にとっての父の姿です。
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ということで美術講座はしばらくお休みです。
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