イタリアの偉人たちが眠るサンタクローチェ教会。
入ると主礼拝堂のステンドグラスにまず圧倒される。
そしてその隣にあるジョットーのフレスコ画のバルディ礼拝堂やペルッツィ礼拝堂などを眺めているだけで頭がフラフラになってくる。
19世紀に「赤と黒」を書いたロマン派のフランス作家スタンダールはこの教会に来て
「突然激しいめまいと動揺」
に襲われたというのがよくわかる。この現象から芸術作品を見てめまいを起こすことを「スタンダール症候群」と呼ぶらしい。
偉人たちの眠る墓があるサンタ・クローチェ教会
ここのもう一つの見所が前述の偉人たちの墓。ガリレオやミケランジェロなど日本人にも馴染みのある歴史上の人物たちが葬られている。
こちらは天才ミケランジェロの墓。彼の人生も含まれる「芸術家列伝」を書いたヴァザーリ設計。
フレスコ画はナルディーニ作。女性像は左から絵画、彫刻、建築とミケランジェロの多彩な才能を表す。
いつもこの前には解説をする人や写真を撮る人がいっぱい。
彫刻家アントニオ・ロッセリーノ
しかしこの向かい側の柱にひっそりとある名作を鑑賞する人はごくわずかだ。
アントニオ・ロッセリーノ作「フランチェスコ・ノーリのための墓標」1478年
大理石でここまで作っている。芸が細かい。
写真では限界があるが、近くで見ると本当に「布」のようなのである。
アントニオ・ロッセリーノは兄ベルナルドとともに、ルネサンス初期の15世紀に彫刻家として活躍した。
バルジェッロにある「幼き洗礼者ヨハネ」1477年、同じ頃の作品。
正直この人の人物表現には「?」がつくところが多いのだけど、布の質感とか芸の細かさはピカイチだと思う。
フィレンツェが一望できるサン・ミニアート・アル・モンテ教会に
「ポルトガル枢機卿の墓」
がある。
お兄さんのベルナルドとの共作となっているが、布の模様の細かさをぜひ見て欲しい。
ベルナルド、アントニオ、そして同郷のデジデリオの作品は、皆この大理石の細かさが共通する。
ちなみにエッセイストの森下典子さんは、前世がデジデリオと言われてこの作品に関わったというお話を著書で記しておられる。
この本に記載されている内容を辿って、同じくガイドの勉強をしている日本人の女性とフィレンツェの街にデジデリオ探しに出かけたことがある。
パッツィ家の陰謀の犠牲者フランチェスコ・ノーリ
さてここで墓標の主役、フランチェスコ・ノーリに注目したい。
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1478年、ヨーロッパ世界で最も栄えていた街フィレンツェでひときわ華やかだったのが
ロレンツォとジュリアーノ
メディチ家の若き当主たちである。
フィレンツェ市民が集まるドゥオモでの復活祭のミサの最中に事件は起きた。
聖体拝受するその瞬間、ロレンツォとジュリアーノはライバルのパッツィ家に襲われたのである。
兄ロレンツォはとっさに身をかばい、友人たちに守られて聖具室に逃げ込んで助かった。
その時に身を呈してかばったのがフランチェスコ・ノーリである。
美男の誉れ高かったジュリアーノは19箇所を刺されて即死。25歳の花盛りであった。
ロレンツォは弟を殺した犯人たちに徹底的に報復した。
現在のトルコ、イスタンブールまで逃げた最後の一味バンディーニもスルタンとの交渉の末ロレンツォの手に引き渡された。
バルジェッロで処刑された姿を描いたダ・ヴィンチのスケッチが残っている。
敵を許さなかったのと同様に、ロレンツォは自分を救ってくれた友人を忘れなかった。
100年後、「芸術家列伝」を書いたヴァザーリは教会の大改造を行う。
時代遅れと考えられた多くの作品が撤去される中、ロッセリーノの傑作は5世紀を経た今も私たちの眼の前に残されているのである。
(加藤まり子筆)
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