人を信じること。
そして信じて頼ること。
元来私はこれがとても苦手。
結局人に頼れないからお金に頼る、という方法を取っていた。
人にお願いできないから、必死にお仕事して、お金でお願いする、という今で考えると悪循環。
だから仕事から離れられない、という現象が起きていた。
ある日のイタリア語の授業で「愛と仕事と健康と、どれが一番重要?」というお題で会話する、というのがあった。私にとって健康の次に大事なのは仕事。すなわちお金を稼がないと命が危ない、という考え。
対する相手の女の子は迷わず「愛」と答えた。その時に、きっと愛というものを信じられたらそれほどまでに「お金」というものに頼る必要もないんだろうな、と感じた。
そして「愛」というものを信じられるのだったら、きっとそんなに自分が必死になって仕事をするんじゃなくて、辛い時には誰かに頼ることもできるんだろうなぁとも。
ウフィツィ美術館にある「7つの美徳」図

「7つの美徳」ポッライオーロ兄弟&ボッティチェリ 1469-70
ウフィツィ美術館には「7つの美徳」を描いたシリーズがある。
中世からルネサンスのフィレンツェで力を持っていた商工組合には “Tribunale” と呼ばれる仲裁機関があった。現在のグッチ・ミュージアムが入っている建物である。
仲裁は良心に従って行われるべき。すなわちキリスト教の「美徳」に基づいて、神の判断を代行できるようにというのが中世の考え方だった。それを忘れないために「7つの美徳」の絵を飾った。
6枚は当時人気だったポッライオーロ兄弟に依頼された。そして残る1枚は新人だったボッティチェリの手に。
もっとも重要な美徳とされる「慈愛」

「慈愛」ピエロ・デル・ポッライオーロ 1469
キリスト教では「愛」はもっとも重要な美徳とされている。
しかし現代の私たちが理解しなければならないのは、ここでいう「愛」とは神に対しての「愛」である。
何があっても神に対しての「愛」を失わないこと。神が私たちに注ぐ限りない「愛」を信じること。
何があっても「信仰」を持ち続けること

「信仰」ピエロ・デル・ポライオーロ 1470
神への「愛」を持ち続けること、そして神からの限りない「愛」を信じること。
それがもう一つの美徳「信仰」なんだと思う。
ちなみに、キリスト教からは離れるが、ルネサンスは新プラトン主義という哲学に基づく。これはプラトンの「饗宴」をベースにしてるのだけど、そこでもやはり人への愛(恋愛含む)を通して、最終的には「神への愛」に到達することが目的とされている。
(↑私はこれで「饗宴」を勉強した)
どんな時にも「希望」を捨てないこと

「希望」ピエロ・デル・ポッライオーロ 1470
そしてどんな状況でも「信仰」を持ち続け、神の世界へ生まれ変わる「希望」を捨てないこと。
慈愛
信仰
希望
この3つが、7つの美徳の中でも「対神徳」と呼ばれ重要視された。
私は7枚の中で特にこの「希望」が好き。どんなことがあっても希望を捨てない、というのは響きとしては綺麗だけど、実際はとても難しいこと。
私はキリスト教徒ではないので教義で言われるような「神の世界に生まれ変わることへの希望」ではないけれど、どんな状況でも前向きでいたいと思う。
ちなみに「美徳」と対になって「悪徳」というものがあるのだけど(ジョットーの描いたスクロヴェーニ礼拝堂のものがわかりやすい)「希望」の反対は「絶望」である。
ボッティチェリ初めての公式作品「剛毅」
最後に7枚のうち1枚だけ混じったボッティチェリの作品を紹介。

「剛毅」ボッティチェリ 1470
ボッティチェリの名前が正式に入った最初の作品である。当時25歳。彼はこれによって名前を上げた。ただ先輩分であるポッライオーロ兄弟からは睨まれたそうな。
「剛毅」はよく「力」とも訳されている。
「愛」を「信じ」続け「希望」を失わないこと・・・それがきっと本当の「力」なんだと思う。

タロット「力」
タロットにも「力」のカードがあるんだよ。
(2017/9/24 加藤まり子 筆)
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