残1席 1/27 フィレンツェ美術勉強会「世紀の対決!レオナルドVSミケランジェロ〜16世紀前半のイタリア美術」

15世紀末〜16世紀前半 フィレンツェの衰退と復興

前回15世紀のフィレンツェの美術をメディチ家の観点から学びました。
今回は16世紀前半を中心にフィレンツェの美術とローマへの舞台の移行を見ていきたいと思います。

天才の対決!レオナルドVSミケランジェロ

15世紀の初めにフィレンツェで始まったルネサンスは1480年ごろピークを迎えます。多くの芸術家達が活躍し、たくさんの作品が生まれました。

しかし1490年代に入り、メディチ家当主であったロレンツォ豪華王が死去。
その後侵攻してきたフランスに屈する形となり、メディチ家はフィレンツェを追放されます。
変わって力を持ったのがドミニコ会士サヴォナローラでした。

厳格なキリスト教に則って統治したサヴォナローラは虚栄の焼却などを行い、それまでの異教的な芸術を否定します。ボッティチェリなどメディチ家の元で活躍した芸術家達の作品も焼却された、と言われています。

ボッティチェリ「誹謗」

ローマ教皇アレクサンデル6世と対立したサヴォナローラは失脚。新たに統治者になったソデリーニはフィレンツェに縁のあるレオナルドダ・ヴィンチとミケランジェロにヴェッキオ宮殿の壁画を依頼します。天才2人の芸術対決に世間は大注目。若きラファエロも尊敬する天才たちの作品を見にフィレンツェに滞在します。

壁画は完成しませんでしたがミケランジェロはダヴィデ像を制作。ダ・ヴィンチはモナリザ、ラファエロは「ひわの聖母」など、ルネサンスの巨匠たちが現代にまで残る名作をフィレンツェで生み出しました。

ラファエロ「ひわの聖母」

その後ローマ教皇に就任したユリウス2世に呼ばれミケランジェロ、ラファエロはローマに移動しますが、フィレンツェでは後にマニエリスムの祖となるアンドレア・デル・サルトやサヴォナローラの意志を継ぐフラ・バルトロメオたちが中心となりフィレンツェの芸術を牽引しました。

アンドレア・デル・サルト「ハルピュイエの聖母」

かつての栄華が消えてしまった15世紀末から再び芸術の力を取り戻す16世紀初めのフィレンツェからローマにかけての芸術を取り上げます。

開催概要

日時

2024/1/27 15:00〜17:00

対面での開催

場所:上野近くの会議室(お申し込みの方に詳細をご案内します)

参加費:5500円

定員:4名→残1名

オンライン開催

場所:オンライン(リンクはお申し込みの方にお知らせします)

参加費:3500円

含まれるもの

  • 資料(対面は紙、オンラインはPDFです)
  • 録画(2週間程度視聴可能です)

終了後、ご希望の方と食事に行きます。(飲食代実費)
ご希望の場合は申し込み時にご連絡ください。

お申し込み

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